放課後の女神(加筆修正・再掲)

引越し、引越し!!

  • 奇人・変人シリーズの短編小説。初秋の頃、学校の中庭で起こる高校生二人の出会いを描いた話です。
    作者は寂しさは連鎖して何かを呼び寄せるのかもしれないと思いながら書いていました。(当時のまえがき)

 

 

 中庭の枯れ葉の絨毯に寝転がってみる。意味は特に無い。
 色づいた木の葉たちが静かに揺れている。葉の隙間から陽の光が射し込んで、少し眩しい。
 目を閉じてみる。ヘッドフォンから流れるのは名前すら覚えていない女の人の歌声で、その歌声は何故だかどんどん大きくなっていくように感じた。暫くの間、そうやって歌声を聞き流していた。音楽の趣味は父親の影響が強かった。洋楽嗜好の父が残した様々なCDたちは父と私を繋ぐ唯一の物だった。
 父が家を出ていったのは去年の今頃の事だった。元々、家にいない時間の方が多かった人ではあったけど、ある日家に帰ると父の物は数枚のCDを除いた全てが無くなっていた。真実は分からないけれど、母が言うには別居であって離婚はしていないらしい。その理由を母は娘である私がまだ扶養義務のある子供だからだということを恨みがましく延々と語っていた。今、父は母ではない別の女性と暮らしている。
 一度、綾小路先輩に付き添ってもらって会いにいった。一人で行く勇気はないけれど、幼馴染みの羊に付き添ってもらうのはイヤだった。出て行ったことすら羊は向こうは知らないのだ。寧ろ興味すら抱かないだろう。だから先輩に付き添ってもらった。
 父が選んだその女性は自分の母親なんかよりも何倍も好感が持てる人で、家にいた時よりも父はとても幸せに見えた。
 帰り道、私は泣いた。父を恋しく想う気持ち。それから父とあの人が幸せになって欲しい気持ち。その為には自分や母が邪魔なのだと感じた気持ち。それらが混ざりあって泣いていた。付き添ってくれた綾小路先輩はなにも言わずに、ただ私が泣き止むのを待ち続けていてくれていた。
「お父さん」
 ふと、父が恋しくなった。でも以前だったら流していた涙が今日は流れなかった。理由は目の前に人の顔があったから。しかも顔見知りの。
「も、森本先輩…?」
「〓にや〓〓の?」
 ヘッドフォンをしているので先輩が何を話しているのか聞こえない。とりあえず、ヘッドフォンを外して起きあがる。
「えと、ごめんなさい。何ですか?」
「いや、何でも。ところでさ綾小路、見なかった?」
「綾小路先輩?」
―それは女装している綾小路先輩ですか? それとも素の綾小路先輩ですか?
と思わず聞きそうになった。どちらの綾小路でも、綾小路は綾小路である。
「部活でさ、絵のコンクールに作品を出さなきゃならなくなっちゃってさぁ。綾小路にモデルを頼もうかと思ったんだけど、アイツ何処にもいないんだよ」
 森本先輩はスケッチブックを私の目の前に分かりやすく見せてくる。見せるにしても近い、近すぎる。
「先輩、スケッチブックが近すぎます」
「そうか?」
「はい」
 なんだか行動の読めないこの森本 貴という人は私の友達の幼馴染みだ。先輩が美術部に所属してというのは彼女から聞いたから知っていた。
 それに加えて綾小路先輩の友人でもあるが、それは習字に使う和紙にも満たないくらい薄っぺらさ程度の繋がりしかない知り合いだ。普段めったに会話を交わすことがないのだが、時々話す度に自分の幼馴染みが追い求める未確認生物はこの人なのではないかという疑いを持たせる。宇宙人のような人なのだ。
 何が言いたいのかというと、要するに私はこの人が苦手なのだ。なので早く逃げるためにも、さっさと会話を終了させたい。
「綾小路先輩なら、もう学校にはいらっしゃいませんよ」
「えっ?」
「なんか先輩のお姉さまに緊急事態が起こったみたいで、慌てて帰られました」
「嘘だ」
 先輩は間髪入れずに否定した。少しイラっとした。
「本当です。現実から目をそらさないでください」
ーお前相手に嘘ついてどうするんだよ。
と言ってやりたい所だが、必死に抑えた。
「そうか、そいつは残念だ」
「はぁ」
 会話は終わったと思い、帰ろうと思って立ち上がろうとしたら何故か腕を捕まれていた。何だこれは?
「じゃあ、しょうがない。君で妥協するか」
「はっ?」
 そう言って先輩はスケッチブックを広げた。手にした鉛筆を画家が絵を描く対象との距離を計るために行うポーズでこちらを見ている。脳内処理が上手く出来ない私をそっちのけにしたままで。
「先輩、あなたは一体何をしているのでしょうか?」
「何って、クロッキー? もしくはデッサン? 」
 更にイラッとした。
「質問を疑問形で返さないでください」
「きみ、見た目に反して辛辣だよね」
 会話が成立していないと叫びたかったし、果たしてこいつの虚構の中の自分はどんな感じなんだろうか? なんて疑問も抱えつつ、お決まりの常套句を口にした。
「よく言われます」
「ほらな、そんなんじゃモテないぜ」
「モテなくても構いません。構わないので、描くのをやめてください! 」
 駄目だ。このままではこの男のペースに陥ってしまう。
「なんで私を描こうとしてるんですか! 綾小路先輩を描くんでしょ?!」
「だってもう帰ったんだろ?」
「確かに帰られましたけど、描くなら明日でも良いじゃないですか!」
 人のペースを乱す奴なんて、あのオカルト馬鹿と女装癖の二人で十分だ。
「オレの時間はオレの物、君の時間もオレの物。オレは今描きたいんだよ」
「訳のわからないジャイアニズムを発揮しようとしないでください!」
 自分のペースに巻き戻したいのに巻き戻せない。もう泣きたくなってきた。
「とにかく、そこら辺に寝転んでよ。さっきの体勢みたいなのを描きたいんだよ」
 そう言って先輩は私を無理矢理、枯れ葉の絨毯に倒す。結局、モデルを無理矢理やらされることになった私の恨み節は消えない。
「綾小路先輩がダメになったのならご自身の幼馴染さまを描けば良いのではないかと思われます。なんで私がやらなきゃいけないんですか」
 幼馴染みなんだし、正直他人の私なんかに頼むよりそっちの方が楽だろう。なにより桜子は町を歩けば擦れ違う男のほとんどを一目惚れさせるくらい可愛いんだから目の保養になって一石二鳥ではないか。
「煩いなぁ、さくらはダメなの」
「どうしてですか?」
 あんまりにも先輩がきっぱりと言い放つから、思わず理由を聞き直してしまった。けれど先輩は答えようとはしない。
 喧嘩でもしているのかと思ったが、先輩の様子を見ていると問題はそんな一瞬で済んでしまうようなものでもないようだ。何かを溜め込んでいるような感じはした。
 けど、どうしてだろう? 普段、関わりのない私がこの人の事をこんなに分かっているかのような気になっているのだろう?
ーあっ。
 考え始めた途端、頭の中であの時の父の姿が蘇った。そして悟る。
 お父さんと今の先輩が重なったから、だからこんな気持ちになったのだと気が付いて愕然とした。全部の音が消えてしまったような感覚を覚えた。その感覚の中で唯一聞こえたのは鉛筆が紙の上をしなやかに走っていく音だけだった。
「どうかした?」
 本当に泣きそうになっていたら、描くことに集中していると思っていた先輩が急に口を開いた。
「どうしてですか? 」
「眉間にシワが寄ってる」
「それは、こんな寒空の中で無理矢理、絵のモデルなんかをさせられているからです」
 今の自分を悟られたくなくて、辛辣さを心掛けて切り返す。けど、先輩はまるでそんなことに気が付いていないかのように笑いだす。
「やっぱりきみは手厳しいな」
 先輩は笑ったままスケッチブックに鉛筆を走らせている。
「傷つかないんですか? 」
 思わず問いかけてしまっていた。
「何を?」
「今の言葉に対してです。私、傷つけるつもりで言ったんですけど」
 元から大きな先輩の目が更に大きくなった。言葉には出さないけれど先輩は驚いている。そういう反応は新鮮だった。
「そっか、そうだったのか」
「えっ?」
「ごめんよ、悪い事したね。」
 先輩の反応が先程とは比べ物にならないくらいぶっ飛んでいて、今度こそ頭の中がついて行けずに混乱している。一体、何なのだ? この人は。
「いや、どうもオレは感情とかに鈍いみたいでさ」
 そういう次元の問題じゃない気がするのだけど、先輩はベラベラと話を続ける。その言葉は異星人のソレとしか思えなかった。
 この場に幼馴染みの羊がいなくて良かった。あのオカルト馬鹿がいたら、この場は更にカオスな状況に陥っていたと思う。
「親友にも言われるんだよ。お前は変だとか色々と。でも何でかな。ずっとこんなんだから自分の中では結構当たり前な事なんだよ」
 先輩は微笑んだけど、その微笑みが今度は何かに張り付けられたものに見えた。今、微笑んでいるこの瞬間もこの人は何も感じていないのだと。
 私は先輩の言葉に応えることが出来なかった。
 それから二人の間には沈黙しかなかった。先輩は絵を描くのに夢中だし、私は私で変な気持に飲み込まれていたから。
 私はなんだか森村先輩が羨ましく思っていた。先輩のいう感情の鈍さ、疎さ。何をされても、何を言われても傷つくことがないのが本当だとしたら、とても羨ましい。私もそうなれたら良いのに。
 私を置いて行って別の世界で幸せを得ようとしているお父さんのことも、日々どんどん離れていくように感じる羊のことも、何もかも感じることが無くなってしまえばいいのに。そうしたら、こんな日々から解放されて楽になれるのだろうに。独りぼっちになることを恐れる日々から。
 
「よし、終わった」
 そう言って先輩は急にスケッチブックから顔を上げた。その姿はさっきの張り付けられたような微笑みに似ている様にも思えたし、そうじゃない清々しさにも見えた。さっきの言葉の真実味を判断することが難しくて困った。
 陽は殆んど落ちていて、辺りは仄かに暗かった。そして肌寒い。
「大体描けたよ。薬師丸、ありがとう」
 先輩はそう言って寝転がっていた私に手を差し伸べて、身体を起こした。
「いや、何だかこんな時間まで悪かったね」
「先輩、その発言は白々しいにも程があります」
 目潰しでもしてやろうかと思った。けど羊以外の人間にやるのは危険だからと綾小路先輩に禁止されていたことを思い出して、踏みとどまった。


「薬師丸は家何処? 送るよ」
「いえ、結構です」
 紳士の気遣いを丁重に断り、私は校門を目指して歩き出した。苦手なのだ。そういった気遣いには、どう対処すれば良いか分からない。すると先輩は「まぁ、着いてけばいっか」などと言って微笑んだまま同じ方に歩き出した。

 校門を出ようとすると、後ろから「あれ、繪漣? 」と物凄く間の抜けた声に呼び止められた。後ろを振り向くと、そこには超常現象マニアの幼馴染の姿があった。
「羊、今帰りなの? 」
「うん。ミステリーサークルについて色々と考えてたら先生に追い出された」
 どうやら、この男は自分だけの独特の世界観の中で普段と変わらない日常を送っていたようだ。
「そっちは? 」
「綾小路先輩の代理をやってた」
「ほう、そっか。お疲れ」
 この男は自分が興味のないことに対してはとことん興味を持たないのだ。たとえ長い間一緒にいる幼馴染でも。
「あれ? 君、誰? 」
 今更ながら森本先輩に気づいたようだった。遅すぎる。
「俺? 」
「そう、君」
「俺は森本」
「へぇ」
 感情の全く籠っていない会話がそこでは展開されている。お互いがお互いに興味など微塵もないことが丸わかりでつらい。つい、補足説明をする。
「綾小路先輩と同じクラスだよ」
「ほぉ、綾小路と。じゃあ君も女装するの? 」
「何でそうなる? 」
 私の綾小路先輩への扱いも相当だけれど、こいつはもっと酷いと思う瞬間だった。
「申し訳ないが、女装は専門外だな」
 浮遊しているかの様な会話の着地点が見えてこなくて頭が痛くなってきた。私は思わず「帰りたい」と呟いていた。
「なんだ、帰るのか? じゃあ、帰ろうぜ」
 そういって羊は徐に私の手を取り、歩き出した。奴は後ろなど振り向かず、「それじゃあ、森田くん。さよなら」と言いながら手を振る。
 私は後ろを振り向く。するとそこには、ちょっと驚いている様な表情をしている先輩の姿があった。けど、直ぐに先輩は先程と同じ様に張り付いた微笑みを浮かべてこちらに手を振った。その姿はなんだか寂しく思った。迷子の子供を独りぼっちで置いて行ってしまうかの様に。それはきっと、自分のこの手が誰かに包まれて暖かく感じる所為なのかもしれない。

 それから数日後、綾小路先輩に森本先輩からだと言って一枚の紙を渡された。そこには鉛筆で粗く描かれた私と思しき女の子の姿があった。よく見てみると「ありがとう」と「良かったら、またモデルをやって欲しい」という言葉が添えられていた。
 何だか恥ずかしいような気持ちになった。けど、その反面に今までに感じたことのない高揚感みたいなものも感じて顔が熱くなっていく感じがした。自分の中を何かが塗りつぶされていくような。そんな何かを感じながら。

《終われ》