ゴジラを考えてみる。

どうも、最近あまりの暑さに溶けてしまいそうな椿です。お久し鰤の照り焼き。
あつがなついぜって感じです。

庵野秀明監督の映画『シン・ゴジラ』を観てきました。初庵野作品です。

ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ

ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ

 

 随所でテンションが上がる場面があって素晴らしかったです。
鑑賞後、パンフレットを買いに売店へ行ったら売り切れでした。チェっ。
観終わった後は私が求めていた第1作目の『ゴジラ』が蘇ったような気持ちで高揚感がいっぱいでした。

※これから感想を書きます。ネタバレが多々あると思います。
読まれる場合は映画『シン・ゴジラ』本編を鑑賞後に読むことをお勧めいたします。 

 

  • 言っておきますが私のゴジラ鑑賞遍歴は殆どないに等しいです。
    親は田中美里谷原章介が出ていた『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』や別所哲也小林聡美が出ていた『ゴジラvsモスラ』など何作か好きな作品があり、それをテレビで一緒に観ていたくらいでした。一緒にと言ってもぼんやりと観ていたので記憶も朧げです。
    親から聞いて覚えているのも「水爆実験で誕生したゴジラは人を憎み、破壊する。対するガメラは人を守るために戦う」これくらいなもんです。

  • 日本で生まれ日本で育まれたゴジラはハリウッドへ行き、2作も映画が作られています。(個人的には、海外版のゴジラのビジュアルが恐竜に近すぎてあまり好きじゃないので観てません。)
    この点から勝手に、「ゴジラはジャパニーズエンターテイメントの象徴なのかもしれない」くらいには思っていました。
    個人的にはゴジラは近くて遠い怪物です。日本なら知らない人はいないけれど実際には存在しない怪物という意味で。

  • 私の考えを変えたのは1954年に公開された第1作目の『ゴジラ』でした。理由は忘れましたが、これは大人になってから自分の意思で選び、観た作品でした。
ゴジラ

ゴジラ

 

3月7日@Earth_tycho
一番最初の『ゴジラ』を観た。
水爆実験によって海底での暮らしを奪われたゴジラが骨と化していく姿に理不尽さを感じる。何か上手く言葉を纏められないけど、娯楽性より当時の世相や社会的メッセージ性の強い作品だったのだと知る。何がどうなってキングコングと戦うことになったんだってばよ…。
posted at 22:29:53

3月7日@Earth_tycho
ゴジラには三通りの人が出てくる。水爆を浴びても生きているゴジラを科学者として純粋に探求したい山根博士、目の前の災厄を払い除けたい小市民的な尾形青年、科学者として栄光よりも自身を犠牲にして人類の救済を選んだ芹沢博士。断然に格好良いのは芹沢博士でした、見た目は悪っぽいけど。
posted at 22:37:32

  • 上記のものは当時、鑑賞した時の感想の呟きです。
    この『ゴジラ』を観た時、初めてゴジラがこの世に現れたらどうしようと思い、恐怖を感じました。
    白黒の画面に現代と比較すると随分と荒い技術。だけど、これ以降のゴジラシリーズとは明らかに違う迫力のある作品だと思っています。Twitterにも書きましたが、娯楽性より当時の世相や社会的メッセージ性の強い作品です。
    今回観た庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』には、この1954年の『ゴジラ』を踏襲しつつも、現代に合わせた風刺めいた作品だった思います。
    真っ向からゴジラと向き合う矢口の姿は1954年の『ゴジラ』に登場する芹沢博士に通づる部分を感じました。自身が犠牲になっても厭わない姿も似ています。
  • 戦後に生まれた怪物ゴジラ
    人が感じること、考え方は何通りとあっても良いと思っています。賞賛も批判も良いでしょう。ゴジラが空撮特撮エンタテインメントだろうと、ジャパニーズエンターテイメントの象徴でも何でも良いです。
    ただ、個人的にはゴジラは時代を写した鏡であって欲しいと思っています。
    ゴジラは憎しみのまヽに人間を滅ぼそうとします。人間は自分たちの暮らしを脅かされる、人類が滅ぼされるのではないかという恐怖からゴジラへ迎撃行為を行います。でも、それ以前に人間たちは水爆実験によって海底での暮らしをゴジラから奪っています。
    人間は過去の戦争で行われた水爆実験や原爆投下、現代で言えば地震津波による災害から齎された原発の事故。人間が自ら生み出したテクノロジーは使い方によっては生活を豊かにする反面、多くのものを奪うこともあります。この点に関して、現時点で善し悪しを明言する気はありません。そういった論点を語るブログではないので。
    理不尽な行為を受けて憎しみを覚え、破壊行為を行い、人間に沈静させられるゴジラの姿は人間たちに問いかけているのだと、私は考えています。
    「本当にこのままで良いのか」と。

  • 今回の映画『シン・ゴジラ』も1954年版の最後の場面と同様に「本当にこのままで良いのか」と私たちに強く問いかけているように感じました。
    あの最後のゴジラの姿は何よりも強烈でした。

  • でも、恐らく私の望むゴジラ観では海外の人は受け入れづらいとは思っています。私の望むゴジラはこの国での共有できる苦しみの体験があることが前提だからです。きっと、海外の人たちには空撮特撮エンタテインメントとしてのゴジラの方が受け入れやすい気はします。
    あと、戦後の日本が精神的にも何にしても元気になって行く過程にゴジラのエンタテイメント化は必然だったのだろうとは考えてます。

  • 最後に素敵な役者さんたちが沢山でした。
    学者特有の変人っぷりを発揮する高橋一生さん、市川実日子さんが良かったです。一生さんと市川さんのとあるシーンでの一生さんがとても可愛かったです…! 一緒に行った方と観終わった後で「あのシーン良かったね」と言い合ってました。あと市川さんのクーデレは至宝。
    他にも小出恵介さんとか斎藤工さんとかモブで出ていた俳優さんたちも良かった。近年、不倫やら壁ドンなど世の主婦の欲望を背負わされているようでファンでも無いのに不憫に思っていた斎藤工さんが近年稀に見る好演をされていました。
    竹野内豊さんの上司を掌で転がす手腕を発揮する総理大臣補佐官役も素敵でした。
    何より主演の矢口蘭堂役の長谷川博己さんは本当に素敵でした…! 中盤に怒りの表情を見せる長谷川博己さんが非常に格好良かったです。過去にこのブログでも長谷川博己さんについて書きました。(ギリギリ歯ぎしりレッツフライ♪ - Le monde vu du camélia)
    今回は頭の回転が早く長回しに対応できるといった長谷川博己さんに対する共通のイメージと共に、冷静沈着且つ野心を持ちながら正義感にも似たような意志のために内閣府全体を引っ掻き回す言動を繰り返す矢口役は素敵でした。とても理想的な長谷川博己さんの使い方でした。「庵野監督…神かよ…!」と映画館でひっそりと思っていました。(でも、ひっそりとヒロインの使い方は微妙だとも思いました。石原さとみ演じるヒロイン・米国大統領特使の役は実は物語で重要なあの人の孫なのではないかと疑っています。ちょっと調べてみよう。)

 

取り敢えず、思いつく限りの熱量で語りました。正直知識不足だと思います。それでも、この『シン・ゴジラ』は最高な日本映画でした。

映画館でもう何回か観ようと思っていますので、また書きたいことが出来たら追記しようと思います。

それでは失礼致します。

追記

やっぱりヒロインがあの重要な人物の孫なんじゃないかという個人的な疑惑は無いですよね。日系三世でしたもんね。