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白雪姫 vol.1:vol.2

※この小説は以前縦書き文庫に『自由遊戯童話』と称したシリーズとして掲載していた対人恐怖症の白雪姫を書き直した物です。

 今後、細々と更新しようと思います。

 

 

vol.1

 昔々、北の大国に大層美しい少女がおりました。
 彼女はこの国に君臨する王の娘でした。母親譲りの美貌と父親譲りの賢さと傍にいる人々を照らす太陽のような強さを兼ね備えていました。年中雪に包まれた極寒の大地で暮らすこの国の人々は敬意をこめて彼女のことを「太陽の姫君」と呼び、敬いました。
 ある頃から太陽の姫君の傍にはひとりの美しい少女が女官として仕えるようになりました。彼女の父親はこの国の宰相でした。母親譲りの高い教養を持ち合わせ、父親譲りの碧い瞳と白金色の豊かな髪が印象の気の優しい娘でした。
 妙に気の合ったふたりは、どんな時でも常に一緒でした。供に裁縫をすれば、ふたりだけの秘密の印を刺繍に残し、供に学べば互いに秘密の詩を送り合い、ダンスも互いの役割を交換し合って練習を重ねました。
 太陽の姫君は彼女を自身の分身のように感じていました。又、少女の方も口にはしないものの姫君と同じ気持ちでいました。
 ふたりの少女は次第に幼さが少し抜け、美しく成長しました。それはさながら花が咲く日を待つ新芽のようでした。宮中の人々は「この美しい少女たちの将来の伴侶になる人物はどのような殿方なのか?」という話題で夢中になりました。しかし、ふたりは周囲の視線を気に留めませんでした。
 北の大国は敵対する南の国との戦に苦戦を強いられていました。そこで北の大国は近隣の小国たちと同盟を結び、勝機を見出そうとしました。
 王の目論み通り北の大国は見事に勝利を収め、南の大国を蹴散らしました。その際、戦で最も手柄を立てたのは北の大国とは大きな森を隔てて向かい合う小国の王でした。北の大王は祝いとして盛大な酒宴をこの名もなき隣国の王の為に催しました。その席には勿論、太陽の姫君と宰相の娘も同席しておりました。

 酒宴の途中、北の大王は今回の戦の功労者である隣国の王に望みがあるならどんなことでも叶えてやろうと言いました。すると隣国の王は、ならば褒美として宰相の娘を自身の妻に迎えることを望んだのです。実はこの男、以前より娘を我が物にしようと狙っていたのです。今回の戦で北の大国と同盟を結んだのも、大義の為と言うよりは娘を手に入れる好機を狙ってのことでした。
 その場にいた人々は大層驚きましたが、気分の良い北の大王は父親である宰相の意見も聞かずその場で、隣国の王の申し出を了承をしてしまいました。

 娘と太陽の姫君は嘆き悲しみました。隣国の王は娘と一回り以上年が離れていました。おまけに自分の夫となる人物には既に西の国から迎えた美しいお后さまがいることもふたりは知っていたからです。
 婚礼の日が近づくにつれ、娘の嘆きは増す一方でした。
「わたしは自分の運命を憎みます」
 城の庭園にひっそりと建てられた東屋で娘は言いました。
「いつか、あの男の子供を生むのかと思うと何とも表せない気持ちになるのです」
 東屋の柱に背を預けながら太陽の姫君は静かに降りしきる淡雪を見つめていました。それでも娘は話を続けます。
「この腹の中にわたしは憎悪の塊の孕むんです」
 本来、気の優しい娘から発せられたとは思えないその言葉に太陽の姫君はやっと娘の方に視線を向けました。そこにいたのは悔しそうにぽろぽろと美しい涙を流す娘の姿でした。涙を流す娘を見つめた太陽の姫君は何とも言えない気持ちを持て余すこととなりました。
―もう、この子はあたしの分身ではないのだな。
「あたしは今日ほど女に生まれたことを後悔したことはないよ」
―あんたは女になってしまったんだね。
 太陽の姫君は蹲る娘の傍に近づくと言いました。
「あたしが男だったら、あんたはあたしの子供を産めたのにね」
「えっ?」
 娘は俯いていた顔を姫君に向けました。すると姫君は娘の額に口づけをしました。
「姫さま?」
「モネ」
「モネ…?」
「誰も呼ばないあたしの名前さ」
 娘は大層驚きました。対して姫君は微笑みながら、娘の頬に優しく触れました。
「今の口づけはあたしからの結婚祝い、それと親愛の証さ。これはあんたが忘れない限り永遠にあたしとあんたの縁(えにし)を結び続ける」
「永遠に?」
「あぁ、喩えあたしたちがどんなに離れようと、死が二人を別とうと。あんたはあたしモンだ」
「モネ様」
 娘は自身の頬に触れる姫君の手の上に更に自身の掌を乗せました。
「あたしの魂はあんたの傍にいる。だから、だからさ」
 姫君は震えるような、それでいて凛とした声で娘に言いました。
「幸せになるんだよ」
 こうして娘は隣国の王の下へと嫁いでいったのでした。それから暫く経った頃。残された太陽の姫君は正式に父親から王位を受け継ぎ、この北の大国の女王となりました。誇り高く、美しく。全てに平等な君主に多くの国民が敬意を払い、愛された王女となりました。

 太陽の姫君の願いとは裏腹に、嫁いだ娘を待っていたのは苦難や屈辱でした。
 王さまの正当な妻であるお后さまは小さな北国より些か力のある西の国から輿入れた姫君でした。ですので、お后さまの影響力は国の主である王さまよりも遥かに大きかったのです。隣の大国から宰相の娘として嫁いだものの、立場としては側室ということもあり、お后さまの不興を買うことを恐れた城の重臣たちは娘に酷い仕打ちを幾度となく行ったのです。周囲の意見を跳ね除けて側室にしたものの、余程お后さまが怖かったのでしょう。頼みの王さまは、女の許に通った時だけ甘く尊大な言葉を囁くだけで状況を変えようとはしませんでした。
 日に日に娘は王さまを嫌悪するようになりました。
―愛でるだけ愛でて、後は何もかも見ないフリをする無能な男。こんな男の物になってしまったわたしは何なのだろう?
 暫くすると女はこれ以上傷つかない為に何も感じ無いフリをするようになりました。王さまの前でだけ笑顔を見せ、周囲には無感情を装う。そんな日々に女は益々嫌悪を募らせていました。
―主人の前でだけ必死になって、愛想を振りまくことで可愛がられて。それしか生きる術がない。まるで愛玩動物のみたい。いえ、きっと今のわたしは動物よりも卑しい。嗚呼、何て情けないだろう。
『あたしの魂はあんたの傍にいる』
 ふと、嫁ぐ以前の北の王女の言葉が蘇りました。
『だから幸せになるんだよ』
 娘は額に手を当てました。
「モネ様」
 哀れな娘は崩れるように床に蹲り、震えるわが身を押さえつけるように抱きしめることしか出来なかったのです。

vol.2

 それから幾年と月日が過ぎた頃、娘は少女から大人の女性になり、お腹に新しい命を宿したのでした。王さまは女の懐妊を誰よりも喜びました。それと同時に正妻であるお后さまの存在を恐れた王さまは、城の奥にある限られた者しか出入りを許さない特別な一室に女を隔離しました。
―あの頃、想像した通りだわ。この腹の中にいるのはあの男への憎しみの塊だわ。愛せない我が子の為にこんなことをしたって何になるのだろう?
 女は生まれてくる赤子の為に産着を縫っていました。しかし一向に針が進みません。
―嗚呼、嫌だ。何もかも壊してしまいたいっ! 腹の赤子と共に地獄に落ちてしまいたい。
 女は衝動的に持っていた針を指に突き刺してしまいました。指からは当然の如く、血の雫が垂れ真っ白な産着の上に落ちてゆきました。その様を見た時、女は辺り一面を白に染め上げた懐かしき故郷の大地と自分の額に口づけを落とした太陽の姫君の真っ赤な唇を思い出していました。
 気付けば娘の瞳には涙の粒が零れ落ちていました。それは今迄壊死させるかのように押さえつけていた心が再び鼓動を打つ瞬間に似ていました。
「どうか生まれてくる赤ん坊が」
―あの人のような、唯一わたしの心を独占できたあの方のような、
「雪のように白くて、血のように赤くて、カラスの羽のように黒い女の子でありますように」
―そんな赤ん坊だったら、きっとわたしは生まれてくる我が子を憎まないで済む。きっと愛せる。 

それから間もなくして、国中が待望する王家の第一子が誕生しました。
―嗚呼、なんということ。
生まれてきた我が子を見た女は大層驚きました。何せ赤ん坊の肌は雪のように白く、唇は血のように赤く、髪はカラスの羽のように黒々としていたのですから。そう、あの時女が深く願った通りの女の子だったのです。
 女は大層喜びました。
―わたしは今、この上ない幸福を抱いているんだ!
 それまで何も反応を示さなかった女が赤ん坊を抱いた途端、涙を流しながら喜ぶので皆、驚くばかりでした。
 国中が待望する王家の第一子の誕生ということもあり周囲は男の子を期待し、それまでとは打って変わって女に優しくしていました。しかし産まれたのは女の子。失望したのか城の人々は再び掌を返すように冷たくなりました。けれど女は周囲の声など聴く耳も持ちませんでした。彼女は生まれてきた我が子に「白雪姫」と名付けて精一杯の愛情を注ぎました。
 王さまも待望の我が子を愛おしく思い、毎日のように母子の住まいに通いました。両親の愛情を一身に受けて白雪姫はすくすくと成長していくのでした。

 そんな母子を面白く思わない人がいました。お后さまです。
 お后さまは当初、産まれた子が女の子だったので安堵していました。城の重臣たちも、
「今度こそお后さまがこの国の正当な後継者を我らに授けてくださるでしょう」
などと安易なおべっかを使うので気分も良かったのです。
 しかし幾つ時が経っても、お后さまの努力も虚しく彼女が懐妊する兆しはありませんでした。焦れたお后さまは医者に診てもらうことにしました。すると医者は、
「畏れながら、お后さまが懐妊する可能性はほとんどないでしょう」
と正直に診断したのです。
 お后さまは逆上し、怒りの儘に医者をその場にあったナイフで刺し殺しました。そして悲しみ、嘆きました。
 命は宿らず何の変化も無い自分の腹とは裏腹に日々成長していく白雪姫。その様子を愛おしそうに見つめる白雪姫の母と自身の夫である筈の王さまの姿。お后さまは何もかもが憎らしくて堪りませんでした。次第に何もかも壊してしまいたいと思うようになったのです。
 その中でお后さまはあることにも気づいてしまったのです。

 ある日、お后さまは王さまの耳に囁きかけました。
「陛下、少しお耳に入れたいことが」
「何だ、突然」
 普段、言葉を交わし合うことのない王妃から話しかけられて王さまは些か変な顔をしました。
「えぇ、白雪姫は日々成長して行きますわね」
「白雪姫? あぁ、そうだな」
 白雪姫の名を出すと王さまは頬を緩めました。その様子にお后さまは腹の底が煮えくり返るような気持ちになりました。
「本当に愛らしくいらっしゃいますわね。きっと母親に似たのでしょうね」
「そのようだな。目鼻立ちなど、本当に母に似ている」
「しかし不思議ですわねぇ、あの黒髪はどちらに似たのでしょう?」
「はっ?」
 一瞬、王さまはお后さまが口にした言葉の意味を理解出来ませんでした。
 お后さまは、
「陛下は、このように美しい金色の髪。白雪姫の母も白金色の豊かな髪の持ち主ですわ」
と王さまの金色の豊かな髪に触れようとましました。しかし王さまはお后さまの手を払い除けました。急に触れられたことに驚いたからなのか、王さまの真意が何処にあるのかを知る術は分かりません。しかしお后さまは腹の内とは別に益々饒舌になりました。
「本来なら、どちらかに似た美しい金色をした子が生まれるのでは? なのに白雪姫のあの髪はまるで邪悪さを潜んだような黒髪。陛下はどう思われます?」
 お后さまの甘言は王さまの胸の内を一気に疑惑へと駆り立てたのでした。

「本当なのか?」
 白雪姫が生まれた後も王さまはお后さまを恐れ、母娘をあの城の奥の特別な一室に閉じ込めていました。ふたりに決った時間の他はこの部屋で過ごすように命じていたのです。
「何のことでございましょう?」 
 白雪姫の為に新しい着物を拵えていた白雪姫の母は不思議なものを見るかのような表情で問い掛け返しました。白雪姫の母は娘が生まれたからは、それまでのことが嘘のように王さまに対して穏やかな心持ちで接するようになっていました。
「白雪姫の黒い髪、子供とは思えぬ真っ赤な唇、白い肌。なにひとつ儂に似ていない」
 王さまはこれまで誰にも見せたことが無いような、とても情けない表情で白雪姫の母を見つめ、震えるような声で問い掛けました。
「白雪姫は本当に儂の娘なのか? 」
 白雪姫の母の腕を掴み、表情こそ情けなくありましたが、白雪姫の母を見つめるその瞳はそれまでにない誠実さがありました。この時点で王さまには真実など、どうでもよかったのです。例え他人との間に生まれた娘であっても、白雪姫の母が弁明のひとつでもして自身に愛を乞う素振りをみせてくれれば。それで何もかも許せると思っていました。ですが王さまの望みは叶いませんでした。
「似ている訳がないでしょう」
 白雪姫の母は王さまの手を振り払い、立ち上がりました。
「わたしから何もかも奪って、愛玩動物以下にしか扱わなかった貴方をどうしたら愛せると言うのです?」
 座り込む王さまを見下ろしながら、白雪姫の母はポツリ、ポツリと言いました。この時、彼女の瞳には嫌悪や侮蔑に満ちていました。
「貴方に瓜二つの子供なんて愛せるわけがないでしょう。そんな子、身の毛がよだつようなこと耐えられるわけがないじゃありませんか」
 それはまるで呪いがひとつひとつ零れ落ちて来るかのようでした。
「だから願ったんです、わたしが唯一望む人に似た女の子が欲しいと。わたし、この地獄のような部屋で心の底から願ったんです」
 白雪姫の母は王さまに微笑みかけました。その微笑みは王さまの知る最愛の女性の笑顔とは異なり何とも不気味でした。しかし白雪姫の母はその時、やっと本当に笑うことが出来たと感じる瞬間だったのです。
「白雪姫は貴方の子供じゃありませんわ。あの子は神様がわたしに賜って下さった贈り物ですもの」
 愛する女性から零れた口調はとても弱々しいものでした。それは王さまが初めて白雪姫の母に見せた誠実さに彼女がそれまでの積もり積もった憎悪を爆発させた瞬間だったのかもしれません。
 王さまの顔色は酷く青くなりました。自分がこの世で最も愛する女性から全く愛されていなかった事実に。全てを否定されたことに。
 気がつけば王さまは力いっぱい最愛の女性を張り倒しました。白雪姫の母はあっさりと床に崩れ落ちます。その侭王さまは最愛の女性の上に伸し掛かり、首に手を掛けました。そしてゆっくりと手に力を込めました。
 暗い、光の入らない一室で静かに、静かに。白雪姫の母は命が止められようとしている時を迎えていました。けれど彼女は全く抵抗しませんでした。
「しら、ゆきひ…め」
 最愛の女性は死を目の前にしても王さまを見つめることも、呼びかけることもしませんでした。零れ落ちるのは最愛の娘の名前。それが余計王さまの心を傷つけたのです。
「モっネ、さ…」
 最後の言葉もまゝならない侭、白雪姫の意識は遠のいて行ったのでした。

 暫くすると、それまで閑静な時が流れていた部屋に王さまの鳴き声にも似た雄叫びが響き渡ったのでした。声を聞きつけ慌てて部屋に駆け込んだ兵士たちが見たのは、白雪姫の母の躯を抱きしめながら泣き叫ぶ王さまの姿でした。こうして白雪姫の母はその短く儚い人生の終着を終えたのです。
 この時、父に母が絞め殺される姿を昼寝から目を覚ましてしまった白雪姫が寝室のドアの隙間から見ていたことなど誰も知る由がありませんでした。

《続く》